世の中のこと

元祖「原稿用紙」

元祖「原稿用紙」

 かつて原稿の執筆といえば、「400字詰め原稿用紙」が標準フォーマットであり、文章の長さはその枚数でした。しかし最近は、まったくといってよいほど使われなくなりました。10年ほど前までは、新聞社や出版社からくる原稿依頼の”e-メール”にも、「400字で〇枚」とあったのですが、いまやそんな指定はありません。「〇〇字×〇〇行でお願いします」です。キーボードで書くことが、標準になっているからでしょう。それでも長めの原稿依頼のときなど、メールに「400字で〇〇枚相当で・・・」という指定があったりすると、お会いしたことのない編集者に、「大兄も、万年筆を愛用してきた世代ですね」と、親しみを感じます。「400字詰め原稿用紙」という単位は、私のような世代の脳内メモリに、それほど深く刻まれているのでしょう。その「20字×20行=400字」というフォーマットの考案者が、江戸時代に「群書類従」を編纂した盲目の国学者・塙保己一だったことを知り、感動しました。

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 先日、小雨の降るなかを、埼玉県本庄市にある「塙保己一記念館」へ行ってきました。記念館で、ボランティアで案内係をやっておられるという元高校教師の男性に、「これが版木です。20字かける20行になっていますよね」と見せていただいたのは、「群書類従」に収められている聖徳太子の「十七箇條憲法」、「竹取物語」の第1ページとその版木、およびそれらによる版画でした。

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 じつは「群書類従」については高校の日本史で習ったものの、細部についてはすっかり忘れていました。しかし版木を見てから急に興味をもち、夢中でいろいろ調べました。「群書類従」は、日本のさまざまな歴史書や文学などをまとまった形にするために、塙保己一が江戸幕府の支援のもとで資料を収集して編纂した国書です。全666冊からなり、分類法は現代とは異なるものの、歴史から文学や食材にいたるまで、あらゆる文献をまとめた、いわば日本初の百科事典のようなものでした。塙保己一は、全国各地の武家や公家、神社や寺などに残る文献を一つのパターンに収めます。こうすることで貴重な文書の散逸をふせぎ、後世に伝えようとしたのでしょう。その保管のために考案したパターン、つまり文書のフォーマットが、1ページ「20字×20行=400字」だったとのことです。まさに原稿用紙の原型だったんですね。

 塙保己一記念館は、わが家からはクルマで1時間30分ほどのところです。記念館の近くには、生家もあります。週末のドライブの途中に、「塙保己一生誕の地」という大きな案内板があるのは知っていたのですが、いつも通り過ぎていました。それが、「ちょっと行ってみたい」という家内のひと言でハンドルをきったのですが、とても大きな収穫になりました。

浅間山と寺田寅彦

寺田寅彦と浅間山の爆発
 
「ものごとをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」

 浅間山の火山性地震の発生頻度が、増加しているようです。ニュースを聞いて、寺田寅彦の言葉を思い出しました。
 寺田寅彦がこの散文を記したのは、1935(昭和10)年の夏の日でした。
 
 
昭和十年八月四日の朝、信州軽井沢千が滝グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発の音などとは全くちがった種類の音で、しいて似よった音をさがせば、「はっぱ」すなわちダイナマイトで岩山を破砕する音がそれである・・・。「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、

 冒頭にあげた寅彦の言葉は、この散文の中に出てきます。なんとなく日本人と科学技術の関係を連想させるようで、私は原稿を書くときなど、以前からよく引用してきたものです。

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昨年春の浅間山です もっと読む…