浅間山と寺田寅彦

寺田寅彦と浅間山の爆発
 
「ものごとをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」

 浅間山の火山性地震の発生頻度が、増加しているようです。ニュースを聞いて、寺田寅彦の言葉を思い出しました。
 寺田寅彦がこの散文を記したのは、1935(昭和10)年の夏の日でした。
 
 
昭和十年八月四日の朝、信州軽井沢千が滝グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発の音などとは全くちがった種類の音で、しいて似よった音をさがせば、「はっぱ」すなわちダイナマイトで岩山を破砕する音がそれである・・・。「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、

 冒頭にあげた寅彦の言葉は、この散文の中に出てきます。なんとなく日本人と科学技術の関係を連想させるようで、私は原稿を書くときなど、以前からよく引用してきたものです。

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昨年春の浅間山です
「災害は忘れたころにやってくる」

 寺田寅彦の岩波文庫をお読みいただきたいのですが、ひとまずここでは引用させていただきます。

 
やっぱり浅間が爆発したのだろうと思ってすぐにホテルの西側の屋上露台へ出て浅間のほうをながめたがあいにく山頂には密雲のヴェールがひっかかっていて何も見えない。しかし山頂から視角にしてほぼ十度ぐらいから以上の空はよく晴れていたから、今に噴煙の頭が出現するだろうと思ってしばらく注意して見守っていると、まもなく特徴ある花甘藍(コーリフラワー)形の噴煙の円頂が山をおおう雲帽の上にもくもくと沸き上がって、それが見る見る威勢よく直上して行った。上昇速度は目測の結果からあとで推算したところでは毎秒五六十メートル、すなわち台風で観測される最大速度と同程度のものであったらしい。

 いかにも科学者らしい描写です。情緒に訴えるのではなく、平然と状況を述べているだけなのに、それでいてわかりやすい、寅彦特有の読みやすい文章です。

 ホテルの帳場で勘定をすませて玄関へ出て見たら灰が降り初めていた。爆発から約十五分ぐらいたったころであったと思う。ふもとのほうから迎いに来た自動車の前面のガラス窓に降灰がまばらな絣模様(かすりもよう)を描いていた。
 山をおりる途中で出会った土方らの中には目にはいった灰を片手でこすりながら歩いているのもあった。荷車を引いた馬が異常に低く首をたれて歩いているように見えた。避暑客の往来も全く絶えているようであった。
 星野温泉へ着いて見ると地面はもう相当色が変わるくらい灰が降り積もっている。草原の上に干してあった合羽の上には約一ミリか二ミリの厚さに積もっていた。
 庭の檜葉(ひば)の手入れをしていた植木屋たちはしかし平気で何事も起こっていないような顔をして仕事を続けていた。
ーーーーーーーーー (中略)ーーーーーーーーーー
浅間観測所の水上理学士に聞いたところでは、この日の爆発は四月二十日の大爆発以来起こった多数の小爆発の中でその強度の等級にしてまず十番目くらいのものだそうである。そのくらいの小爆発であったせいでもあろうが、自分のこの現象に対する感じはむしろ単純な機械的なものであって神秘的とか驚異的とかいった気持ちは割合に少なかった。人間が爆発物で岩山を破壊しているあの仕事の少し大仕掛けのものだというような印象であった。しかし、これは火口から七キロメートルを隔てた安全地帯から見たからのことであって、万一火口の近くにでもいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下して来て数分時間内に生命をうしなったことは確実であろう。

 寅彦がこれを書いたのは
1935(昭和10)年の夏ですが、すでにその年の春から多数の爆発があったようです。昨今の火山性地震が、その前兆でなければいいのですが。毎年、春になると浅間山の近くのホテルへ行っているので、気になってしまいます。

 十時過ぎの汽車で帰京しようとして沓掛駅で待ち合わせていたら、今浅間からおりて来たらしい学生をつかまえて駅員が爆発当時の模様を聞き取っていた。爆発当時その学生はもう小浅間のふもとまでおりていたからなんのことはなかったそうである。その時別に四人連れの登山者が登山道を上りかけていたが、爆発しても平気でのぼって行ったそうである。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と学生がさも請け合ったように言ったのに対して、駅員は急におごそかな表情をして、静かに首を左右にふりながら「いや、そうでないです、そうでないです。――いやどうもありがとう」と言いながら何か書き留めていた手帳をかくしに収めた。
 ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。

 浅間山の噴火についてWikipediaをのぞいてみたら、「記録に残る主な噴火」があまりにも多くてびっくりしました。でも、寺田寅彦が見た1935年の噴火は、無数にある「小爆発」だったらしく「被害記録がある」とされているだけでした。

 しかし3年後の1938年9月26日、噴煙が8,200mまであがる噴火。そして1947年8月14日には、噴煙が12,000メートルに達する大噴火。噴石による犠牲者11名とあります。
 
 むやみにこわがるのは、風評被害にもつながるので抑制しなければならないと思いますが、まったく気にもかけずにいたり、「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と甘くみるのも危険でしょう。ほんとうに、「正当にこわがることはなかなかむつかしい」ことだと痛感します。

 北原白秋が、「からまつの林を出でて 浅間嶺に けぶり立つみつ」で知られる「落葉松」を出したのは、1950(昭和25)年だそうです。浅間山が、少しおちついたときのようです。

 寺田寅彦の「小爆発二件」は、「青空文庫」でも読むことができます。